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 ぶらり歩き   
 29. 伊豆半島を歩く (2)   平成24年3月24日
 三島大社から商店が建ち並ぶ道を南下し、ふと富士山の姿を求めて大社の方を振り返えるが、生憎の曇天の空に遮られて雄姿を拝むことが叶わない。
 
 国道1号線に出る少し手前に、間眼(まどろみ)神社(写真5)がある。三島大社の腰掛石と同じで、頼朝が蛭ケ小島(ひるがこじま)の流地から三島大社へ源氏再興の祈願に通う途中、路傍の祠の近くにあった松の大樹の下でしばし仮眠をしたことから、社名が間眼と称えられることになったという。蛭ケ小島が頼朝の流地であったかは定かではないようであるが、伊豆箱根駿豆線の韮山駅近くの蛭ケ小島から三島大社までは10kmほどの道程があり、しかも100日間も往復すれば、頼朝といえども腰掛たり、居眠りも致し方ないといえよう。
 
 20分ほど進むと、六文字名号塔などの石仏が祀られている手無地蔵堂(写真6)がある。説明板によると、この地蔵堂のそばにあった石地蔵が化けては人々を驚かせていたが、ある日いつものように化けて、若侍の髪を引いたら、逆にその若侍に左手を切り落とされたという伝説があり、その若侍が頼朝であったとの言い伝えもあるという。伊豆は幕末維新でも外交の窓口として大事な役割を果たしたが、源平時代の源氏、それも頼朝北条政子の古跡、言い伝えが多い地域のようだ。
 
 伊豆箱根駿豆線を左にして南下を続け、熱函街道を横切り、伊豆仁田駅を過ぎたところで国道136号線(下田街道)に合流する。荒木神社八坂神社を過ぎて、韮山駅の手前のCOCO’Sで昼食を摂る。

 三島駅をスタートしたときは曇天の空模様であったが、昼食を終えて外に出ると春の爽やかな陽射しの好天気に変わっている。頼朝の正室である北条政子が産湯をつかったという井戸(写真7)、ほぼ同じ場所にあったという国の史跡に指定されている伝堀越御所跡(写真8)に立ち寄る。伝堀越御所というのは、室町時代に鎌倉公方として京都から下向した足利政知が鎌倉に入ることができず、館を構えた所であり、下総国の古河にいた足利成氏古河公方と称したのに対して、堀越公方と呼ばれいてる。 伊豆は古代からの幹線道路であった東海道から出べそのように突き出した半島であるが、幹線に睨みを利かせた要衝地であることがわかる。
  
 
    

写真5 間眼神社

写真6 手無地蔵堂

写真7 北条政子産湯の井戸

写真8 伝堀越御所跡

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